はじめに

この小説は飲食店の経験が”まったく”無い半導体技術者トニーが、ふとしたきっかけでカフェ経営に関与した話である。この本ではまったくの飲食業初心者トニー視点で物語を展開する。主な内容は経営に関する話題だが、実例を参考にした内容であり、経営者が失敗に陥る理由が満載である。

対象とする読者は、カフェを経営する予定の人、個人事業で企業しようとしている人など、雇われた立場と自分でビジネスをする立場の境目にある人達へお伝えしたい経験談である。

正直、飲食業は初めてやるビジネスとしておすすめはできない。特にカフェは儲からない。飲食業はスケールメリットがないし、売上にみあった経費が必ずかかる。しかもカフェはもっと経費の割合が高く経営が難しい。カフェ経営をしているお店がチェーン店が多い理由はこれがである。個人レベルでのカフェ経営は本当に難しい。

そしてこの本の目的は失敗談も文章として残すことである。失敗を集めデータベース化することの重要性を説いた「失敗学の法則」(畑村洋太郎 著)などは大変重要な主張をしている。何かがうまくいく背景にはその成功体験にいたるまでのとんでもない数の失敗経験があり、失敗経験をまとめあげることは非常に重要であると言われている。それはもちろん自分の学習のためでもあり、しいては業界や地域のためでもある。この本の目的は後世のために失敗のデータベース化を目指している。

私自身、飲食業に関わり、すでに3年半以上が経過しているが、よくMBAや経営手法の解説書では「経営はやってみないとわからない」「理論では語れない」など言及されていることが多かった。ある本では「MBAを取得するよりも、なんでもいいから小さなビジネスをするべきだ」という一文を本の初めのページで目にしたこともあった。なぜこのように書かれているのだろうと謎に思っていたが、その理由は小さなビジネスをやってみるとすぐに気づいた。

ご想像のとおり、実際のビジネスでは理論どおりにいかないことが本当に多く、予定外のこちが多く、しかも結論としてはビジネスの失敗はオーナーの自己ミスであることも多い。失敗の原因を外側に求める話はよく聞くが、実はオーナー自身が問題であることのほうが(たぶん)多い。この小説ではそのような経営オーナーの行動に関する内容をに焦点をあてている。

経営の問題はリソースの問題よりも遥かに経営者本人(オーナー)の行動や決定の問題であり、マネジメントの問題であるといえる。この考え方は逆に言えば、リソースが足りなくても経営判断さえ正しければなんとか経営は健全化可能、という含みを持っている。

そのような前提に立つ場合、経営判断をする際に一番の問題は実は「人」である。人は気まぐれであり、どのように動くのかだれも予想できない。たとえば売上が少ないから経営が難しいと言いながら、原因を探ると「商品材料の在庫が無い」からであり、その理由は「材料購買担当者が不倫相手と喧嘩したから材料を購入していない」というとんでもなく低俗な理由の場合がある。それで赤字が発生したので経営補填が必要であると、仕入れ・購買担当者に迫ると「お金にシビアになるのはいかがなものか(そこまでやらなくていいでしょ)」
というまさに他人の問題だと考えている場合もある。経営者の観点からみると、職場にはこのような自体が沢山起きている。
よく売上が少ない、経費が高い、お客がいない、などの数字に置き換えて報告を受けるが、よく調査すると単純な問題ではなく、人の行動や社内ルールが問題となり文章では記録にのこすべきではない異常事態が多発しているのである。

例えば今の例をあげると、カフェオーナーが材料を購入せず、売上が立たず、経費支払ができないので、経営補填入金が必要となった。材料を購入していないことが原因に見えるが、そうではない。そのカフェオーナーに不倫相手がいたことが問題であり、その人に嫌われたという理由で購買を停止したオーナー心理が原因である。この場合問題は人であり、経営問題ではない。だが経営者はこのような動物以下の人間も管理しなければならない。このカフェオーナーはここでこれから紹介する中崎町のカフェ「カフェテリアソンリサ」の実在したオーナーである。

経営側に立つことは本当に難しいとおもう。日本にいて経営側としてビジネスオーナーをしている人は国民の1/3もいないだろう。自分のビジネスを所有し運営することはリスクであり、難しく、失敗する確率のほうが明らかに高い体。そして投資家や企業幹部であればそれは実質オーナーではない。他人の金を使っているから、失敗しても自己責任にはならないからだ。失敗してもそれは他人の金(投資家や銀行の金)であれば気が楽だ。この点が全く違う。一番遠い位置にいる公務員にはこの気持は一生理解してもらえないだろう。彼らはそういった不安な状況にいるのが嫌で公務員になったからそれでいいと思うが。

そしてこの本ので結論としたいのは、結局経営者というのは孤独であり、だれとも苦労を共有できない事実である。これは資本主義社会の根本原理かもしれない。資本主義社会では資本は必ず「だれか」が所有する。政府が資本所有をする点は例外であるべきだ。昨今政府金融機関や、日銀による民間投資が増えている点はあまり歓迎できないと考えている。海外の政府から日本の金融政策に批判があるように、政府による市場介入は市場原理が働きにくくなるためであり、資本主義社会国家としては好ましくない。

日本のバブル期は政府がつくり、崩壊させたのも結局は政府だ。あのマネーゲームの記憶があるので、日本ではバブルがまた再来するとか、景気の良い国家などを見ると「バブル」と呼ぶが、あの1980−90年台の日本のバブル期こそが政府主導の操作された市場であり、ドナルド・トランプ氏が指摘する中国の為替操作などはその時の日本政府の株価操作に比べれば小さいものである。それだけ日本の市場操作は異常だったのだ。

さて、この小説の中には自称飲食店経営者、サラリーマンの立場でものを言う人、などがたくさん登場し、飲食店未経験のトニーに助言をすることもあれば、攻撃もしている。トニーは最初は全員の話を聞いているが、途中で本当の経験者、本当に助言をうけるべきオーナーを見分けることに気づき、助言を受ける人を限定してくるが、このような行動が別の人から反感をうける。トニーにとってみれば会社員をやりながら自分のビジネスではない飲食店を支え、お金も払わないといけないので、本当に必死であり、時間も無いのでシビアに動いて業務の決定をしなければならない。だがそのその背景を知らない人たちは攻撃をする。また、閉店の直前にトニーは近所のビジネスオーナーなどに相談をするが、それもすべて「サラリーマンなのに片手間で飲食業をしているからこういうことになる」という批判だけがあり、だれも助けることは無い。これはビジネスという仕組みの本質である。

この小説では主人公トニーの経験として中崎町カフェ 「カフェテリア ソンリサ(Cafeteria Sonrisa)」について記載している。臨場感あふれる本当のような小説だ。

一応フィクションなのだが、どこまで本当なのかは、ご想像におまかせしよう。

2016年9月25日 トニー・リン

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